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安室奈美恵産休前は妊娠5~6ヶ月頃まで仕事、ダンスもしていた。 また産休前にベストアルバムも発売した。

紅白歌合戦後に産休へ。

産休前後に母の書いた約束と言う本が発売される。

この約束という意味は東京へ行って3年間の間に売れなければ沖縄に帰ってきてというものだったらしい。

6月に長男を出産。

紅白で復帰。 涙を見せながら歌った。

安室奈美恵に手柄を持っていかれると思ったのか、その時トリだった和田アキ子はマイクなしで歌った。

IHAVENEVERSEENが発売されるものの100万枚は届かず80万枚程度、RESPECTTHEPOWREOFLOVEも50万枚を超える程度で、以前ほど売れなくなっていた。

やはり産休の空白期間が影響をしている、若い独身の安室から、母親歌手となり同世代が憧れる存在でもなくなったと評価される。


一方でブレスレッド風タトゥーが流行するなど、影響力はまだあった。

SAMと長男がCMに出るなどまだオープンな安室だった。

その後母親の事件が発生する。

ちょうどCMの発表イベントがあったもののキャンセルとなり、SAMと沖縄へ向かい母の遺体と対面。

休業はせずに数週間でHEYHEYHEYに出演、涙は見せずに歌った。

事件は週刊誌でも大きく取り上げられ、これまで出てこなかった情報などが出てきたとか。

安室によるとRESPECTは明るい曲だったのでなんとか歌えたとか。

しかし歌詞が母を失った安室を励ます言葉にも聴こえてくるので、いろいろ思うことはあったのだろうと思う。






しかしその後はさらにCDが売れなくなる。


安室が母を亡くし暗いイメージとなってしまったとか、事件の影響があったのではないかとも言われた。

この頃には浜崎あゆみと宇多田ヒカルの二大歌姫が台頭していた。



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小学校の頃、アクターズスクールの生徒だった友達の見学に行った時にスカウトされる。

お金がないし、沖縄の人で大成したのは南沙織くらいで人気が出ないものだ、芸能界に入れたくないという母を説得し、月謝をただにしてもらう。

しかし交通はバス代が払えずに徒歩。

中学生の頃にスーパーモンキーズとしてデビュー。

デパートやスーパーの屋上などでイベントをしたり売れない時代とは言うものの、CMに出ていたりまだ恵まれていた。

ソロデビュー後はいちご白書やポンキッキーズなどに出る。

発売した曲はドラマに使われたりと恵まれた環境は続く。


TRYMEを人気音楽番組で披露してダンスやファッションがカッコイイと評判になり、一気に人気が出る。 主に10代。

その年はシャギーや茶髪、細い眉毛、ヘソだしルック、短いショートパンツなど一部の人に定着していたものが若い人全体へと広がる。

小室哲哉プロデュースでCHASE THE CHANCEが1位に。

冬や秋には光沢のあるサテンのシャツや白いブーツが流行する。

メイクも唇の輪郭をかたどったものが流行る。 多分黒人歌手を意識したメイクだと思われる。


白いロングダウンジャケットが流行する。


ギャル風ファッションの人をアムラーと呼ぶようになる。






女子高生、女子中学生の間でたまごっちやプリクラなどが流行し、それらと一緒に流行りのものとして安室奈美恵が加えられることも多かった。


当時スーパー女子高生、カリスマ女子高生が登場するなど、カリスマブームの時に人気が出たので他の時代に比べると、同世代からの人気が加熱していた。


歌番組でつけ毛タイプのメッシュをつけて話題に。

その後地毛にメッシュを入れた。

CAN YOU CELEBLATEが200万枚売れるなど、だいたい100万枚のセールスがある中、ロングヘアーだった安室奈美恵がいきなりショートカットヘアで登場し話題になる。


週刊誌でもショートカットにした安室の記事が出た。

当時はイメチェンとか、ショートヘアがブームになる、時代がまた変わると言われたり、また何か心境の変化があったのではないかという噂も出た。

SAMとの間で妊娠、結婚で休業。


会見が生中継されたのだそう。

その時に履いていたバーバリーのミニスカートが売れたとか。

またくしゅくしゅ風なブーツもその後流行した。

結婚前には、SAMとはツーショットが週刊誌では撮られていたものの、テレビでは二人の交際はあまり触れられていなかった。

その間に浜崎あゆみ、鈴木あみ、モーニング娘がデビューする。


つづく。





アーティストの安室奈美恵が、7月28日発売の雑誌「Numero TOKYO」9月号に登場。

「安室奈美恵の時代は終わった」と言われた時期があった。 20代半ば、人々が「安室奈美恵はもう終わった」と口にした逆境の時代にあった。

幼少期の自分について「ああなりたいとかこうなりたいってことを言葉に出来ないし、態度にも出せない子だった」。

自分のCDが売れ、人気者となり世間に影響を与えるまでになり「怖いとこに就職したんだな」と実感したとか。

分岐点になったのは小室哲哉から離れて違うスタイルで再出発した20代半ば。

その当時は「安室ちゃんはもう終わったね」という心ない言葉を口にする人が「すーごいいました。ほんとにいた」。


しかし「それがいちばんの原動力だった。私、小さい頃からあんまりほめられて育ってないので、そろそろダメかもねって言われれば言われるほど、すっごいがんばれる。それがもう、いつも私に火をつける。でもほめられると迷ってわかんなくなるから、ダメになっちゃう」。




Twitterやブログを通じたコミュニケーションはやらないのだそうで、それには理由もあるとか。

安室奈美恵が突然小室哲哉から離れ、今までとは違うヒップホップ系スタイルになった時には売れるとも思いませんでした。

ダンスはかっこいいけれども、安室奈美恵の特徴であった歌唱力、発声量を活かした音楽ではなくなり、安室奈美恵の世さが失われたなとは思いました。

その頃に三宅健との交際が報じられたり、長男の親権を取り戻したい思いが強くなったり、私生活でもいろいろとあったためか、気分が落ち込んでいる風にも見えることがありました。


これらに加えて終わったと言われたことも実はショックだったのか。


その後インタビューなどでは売り上げが落ち込んだことも少しは気になっていたみたいですが、有名人特有のプライドにより心の内を見せないということはなく、思いを明かしているのも珍しい言動です。

昔はアンチもあまりおらず、批判的なコメントはあまりありませんでしたが、最近はアンチも増えてきているようです。


安室奈美恵は顔相占い、顔の作りから判断できる性格は穏やかであまり競争を好まないとか。


安室奈美恵は当初から売れるために恋愛を我慢するとか、プライベートを犠牲にすることを選ぶ感じではなく、売れなくなってもいいからプライベートを取ると言う感じにも見えていました。

母親の事件の際には私の何にそんなに興味があるの?と思っていたことを明かしたり、売り上げランキング1位を獲得し始めてもそれほど変化は見られず、自分が人気者だという認識もそれほどない様子ではありました。




安室奈美恵は売れている人、影響力のある人なのだという自覚がないのかとずっと思っていたのですが、そうではなくそれほど人気が欲しいわけでもないのに売れてしまった、なんとしてでも人気ものでいたいという欲がそれほどないのだという考えみたいです。



安室奈美恵の兄と姉は不良だったのか、ぐれたのか、勉強に熱心とかそういう風でもなかったようですが、安室奈美恵はまっすぐに育ったと言う感じでもあります。



母親が好きで腕にも母親のことについて書かれたタトゥー、刺青入れています。

JUN.30 in 1950”1950年6月30日・母親の生年月日
 my mothers love live with me・母の愛は私と一緒に生きている
Eternally in my heart・私の心の中で永遠に
 R.I.P・rest in peaceの略で安らかに眠れ
MAR.17 in 1999・1999年3月17日・母親の亡くなった日


これらの言葉を見ると安室奈美恵の悲痛な思いというのが表れています。



右腕のタトゥーはバーコードで安室奈美恵の生年月日、左腕には母のタトゥーの下に安室奈美恵とサムの息子の名前であるHARUTOの文字が彫られています。


離婚後に彫られた刺青はどんな思いがあるのか。 親権を最初はSAMに譲ったので息子にはそれでも愛情があるのだという表現だったのか、夫と息子の家族と言う形を失い、その時に改めて母もいなくなった孤独の身だと感じ、心のよりどころとして彫ったのか。


CMの時はタトゥーは消す、NHKではタトゥーを隠すことが求められる、という困難も出てきますが、それでも彫ったのですね。


NHKではタトゥーを消すことを求められるために、紅白出場も断っているとか。


安室奈美恵は2001年以降あたりから出てないような気もするので、刺青の件とも重なる気はします。




安室奈美恵は母子家庭、貧乏など自分の家庭のことは包み隠さずよく明かしていました。


バラエティタレントなどであれば、自分のことも明かすのも珍しくありませんが、歌手としては意外と自分の家庭環境に触れて話すことが多かったです。


レッスンに通うバス代が払えずに徒歩1~2時間かけて歩いて通っていた、沖縄が好き、海は好きだけど泳げない、小学校6年生の時に友達にピアスを開けてもらったとか。

また小学校6年生の時にはテレビに出演するための衣装を離婚していた父親に頼んで買ってもらったとか。


それが一変したのが母親の殺人事件でした。


その時にはメディアからの追跡が過熱しうんざりしていたとか。



その後は母親についてはもちろん語る機会も減り、息子のことも語らなくなりました。


母親が死亡するまでは息子のおしりが桃みたいでかわいいとテレビで話し、出産で子供を取り上げたのはSAMの父親だったとか、結婚するまでの間、砂浜に丸山奈美恵と書いた話なども出ていました。






母親との信頼関係があったから、他人に対しても警戒することなく話していたのか、それとも安室奈美恵の気質が穏やかとか、比較しないとか、競いすぎないというものであるから、人の視線とか噂話もそれほど気にならないのか。



人気者になるためには動じない性格も大事なのでしょうね。



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